2020-03-26 第201回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
しかし、国際的に締約国が広がる中、九一年になりますと、当時の中山外務大臣から、人権の国際的な保障のための制度として注目すべき制度という答弁があり、さらに他の人権条約の個人通報制度についても同様の答弁が重ねられてきております。
しかし、国際的に締約国が広がる中、九一年になりますと、当時の中山外務大臣から、人権の国際的な保障のための制度として注目すべき制度という答弁があり、さらに他の人権条約の個人通報制度についても同様の答弁が重ねられてきております。
十月にそれを調印したのが当時の中山外務大臣。たまたま私は外務政務次官で、私が署名することになっておったのが、大臣が、いや、その手柄は私に渡してくれというから私譲って、たまたま私はバルト三国の五十三年ぶりの外交関係樹立に行ったものなんですよ。そこで杉原千畝さんの名誉回復できたから私はよかったんですけれども。この経緯をよく知る者として、これは実施団体の判断じゃないんですよ、政府の判断なんですよ。
その上で、改めてお伺いしますけれども、きょうは中山外務大臣政務官にお越しいただいておりますので、今もろもろお話ししましたが、それも踏まえて、今後の日朝交渉を有利に進めていく上でも、これは私は対象にしていった方がいいと思うんですよ。
この際、菅拉致問題担当大臣、茂木外務大臣、武田国家公安委員会委員長、大塚内閣府副大臣、若宮外務副大臣、鈴木外務副大臣、藤原内閣府大臣政務官、中山外務大臣政務官及び中谷外務大臣政務官から、それぞれ発言を求められておりますので、順次これを許します。菅拉致問題担当大臣。
○菊田委員長 次に、大塚内閣府副大臣、若宮外務副大臣、鈴木外務副大臣、藤原内閣府大臣政務官、中山外務大臣政務官及び尾身外務大臣政務官から、それぞれ発言を求められておりますので、順次これを許します。大塚内閣府副大臣。
○松本委員長 この際、茂木外務大臣、若宮外務副大臣、鈴木外務副大臣、中山外務大臣政務官、中谷外務大臣政務官及び尾身外務大臣政務官から、それぞれ発言を求められておりますので、順次これを許します。外務大臣茂木敏充君。
○西田委員 これまでも、特に大きな見直しというのは、九一年、日韓の覚書を根拠としてなされているというふうに理解をしておるんですけれども、たしか当時、海部総理のときでございますね、海部総理、そして盧泰愚大統領との間で首脳会談がなされ、そして、当時、我が国は中山外務大臣であったかと思いますが、先方と交わされた日韓の協定、協定に対する覚書、こういったものを論拠として今日の特別永住制度があるというような理解
例えば、九一年には当時の中山外務大臣が武器輸出三原則で国際平和のために一切武器を輸出しないと、これが日本の国是であると答弁をしてきたものですね。 これを一内閣の判断で覆すということが許されるんでしょうか。防衛大臣、いかがでしょうか。
一九九一年に当時の中山外務大臣が、武器輸出三原則で国際平和のために一切武器を輸出しない、これが日本の国是であると、こういう答弁もされておりますが、外務大臣もそういう認識でよろしいでしょうか。
○吉井分科員 実は、一九九一年四月十日の参議院予算委員会で、中山外務大臣は、武器輸出三原則で国際平和のために一切武器を輸出しない、これが日本の国是であると。それから、一九九二年二月二十七日参議院外務委員会で、渡辺美智雄外務大臣も、非核三原則を持っており、武器輸出をしないという国是を持っておりますと。
さらに、森元総理、小野寺外務副大臣、中山外務大臣政務官も多くの個別会談を行いました。 これらの会談等では、アフリカ開発、地域情勢、国連安保理改革を含む国際場裏における協力等、幅広いテーマにつき意見交換を行い、短期間で記録的な数に上る密度の濃いハイレベルによる交流が行われました。 また、TICADⅣ開催に併せて多くの会議、行事等が開催されました。
○藤村委員長 次に、中川内閣府副大臣、小野寺外務副大臣、木村外務副大臣、西村内閣府大臣政務官、宇野外務大臣政務官、中山外務大臣政務官及び小池外務大臣政務官から、それぞれ発言を求められておりますので、順次これを許します。中川内閣府副大臣。